『理念と経営』WEB記事

岐路に立ったとき「苦労と握手する気持ち」で道を選ぶ

医師・順天堂大学医学部心臓血管外科教授 天野 篤

天皇(現・上皇)陛下の執刀医として一躍名をはせた天野医師。その高い技術への信頼は、経験と努力を積み重ねた試行錯誤の日々の上に培われたものだった。

  「どんなに難しい局面に立たされても、その物事の原点にさかのぼって理由を探せば、次のステージに進むためのヒントが必ず見えてくる。数学や物理の答えが常にシンプルであるように、困難も後から振り返れば『こんなに簡単なことだったのか』と思えるものです。知恵の輪を解いたときのようにね」
東京・順天堂大学の心臓血管外科教授の天野篤さんは言う。
口調は物静かで穏 やかだが、言葉の一つひとつに強い芯のようなものを感じる。
40年近くにわたって心臓外科の臨床の現場で働いてきた彼は、2012(平成24)年には当時の天皇(現・上皇)陛下の手術の執刀医にも選ばれ、その成功が高く評価された。これまでに積み重ねてきた手術件数は8700。膨大な経験に裏打ちされた迫力が、そこには確かににじんでいるようだった。
「ある時期に一緒に仕事をしていた人から、こんなことを言われたことがあるんです」と彼は続けた。
「君は常に四つに組んでいるね」
例えば、人生や仕事の中で問題や課題が生じた際、それに対処するための方法は人それぞれだろう。天野さんの哲学はそうしたとき、柔道で言う「組み手争い」のようなことをせず、常に真正面から問題を受け止めることだ。そんな「がっぷり四つ」の姿勢で物事に取り組む様子を、その人はそう表現したのである。
「その姿勢さえ忘れずにいれば、必ずどんな場所からも次の活路が見いだせるものです。今、大学で若い人たちを教えていると、成績が良くて優秀な子ほど打たれ弱いところがあるけれど、彼らにはぜひ、そのことを知ってほしい。乗り越えられるかどうか不安になるほどの試練が目の前に立ちはだかっても、太陽は絶対に西からは昇らないし、いきなり地球が真っ2つに割れるようなこともない。物事を正面から受け止めれば、必ず何か活路はあるものなんですよ」
では、天野さんのこうした人生哲学は、どこからきたものなのか。

探究心と好奇心が今の自分をつくった

  天野さんは1955(昭和30)年、埼玉県に生まれている。幼い頃から勉強はよくでき、高校は地元でも有数の進学校に進んだ。前述の「原点にさかのぼる」という姿勢は、子どもの頃から培われたものだったという。
例えば、小学生のときの彼がいつも傍らに置いていたのは、母親が買ってくれた『百科事典』だった。中学校に上がるとそれが『広辞苑』に変わり、何か疑問があるとすぐに調べていたそうだ。
「自分の疑問をほんのちょっとでも解決してくれる糸口、ヒントは、いつもそこにありました。欲しいと思う知識の糸口を自分で探し出そうとする姿勢の原点は、そんなところにあるような気がします」
だが、医師を志して医学部を目指し始めたとき、彼は大きな挫折を味わうことになった。学年が上がるに連れて、要領よく受験勉強をする同級生たちに後れを取っていったからである。
「その頃からですね、このままでいいのか、という青春の蹉跌に入っていったのは」
3浪の末に私立大学の医学部に合格するが、浪人生活を送っているときは「もう自分は大学とは一生縁がないのではないか」と思い詰めた時期もある。
それでもどうにか医学部に合格できたのは、幼い頃からの「好奇心」や「探求心」のおかげだった、と彼は言うのだった。
ただ、一方でそのように「進学校から一流の医学部」という道を進めなかったことが、自分にとっては大きな転機になった、と彼は感じてもいる。
「というのも、もし偏差値の高い医学部にいたら、僕は落ちこぼれていたんじゃないかと思うからです。東大の医学部に入れば、確かに東大医学部卒の看板は手に入る。でも、成績が100人中90番台だったら、ずっと劣等感に苛まれていたはずです。その意味で大学ではそれなりの位置に居られましたし、そのときの自己肯定感は後に心臓外科という専門領域に入ってから、引き続き探求心や好奇心を持って一生懸命にやる力へと変わった。その積み重ねが、結果的に今の自分の立場をつくっていると思うんです」

取材・文 稲泉連 
撮影 後藤さくら

本記事は、月刊『理念と経営』2020年5月号「挑み続ける」から抜粋したものです。

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