『理念と経営』WEB記事

さあ、人生、これからやで!

デザイナー コシノジュンコ

 3人の娘を世界的デザイナーに育て上げ、山あり谷ありの人生をパワフルに生きた故・小篠綾子さん。「お母ちゃん」の思い出を、コシノジュンコさんに聞いた。

 わが家は女系家族です。戦争未亡人の母・綾子が洋裁店を営んで一家を支え、私たち3姉妹を育ててくれました。母は、とてもエネルギッシュでバイタリティーあふれる、たくましい女性でした。忙しい母に代わって、私たちは何かあるといつも祖母に相談していました。私は“母はお父ちゃんみたいや”とずっと思っていました。
 そんな母が脳梗塞で倒れたのは、2006(平成18)年、92歳のときでした。母は、その1カ月前に女性週刊誌のインタビューを受けていたのです。発売日にその雑誌をめくると、偶然にも「娘への遺言」というタイトルでした。クリスチャンの母はインタビューでこう答えていました。
「自分がもらうよりもな、人にしてあげたほうがよっぽどええで」
『聖書』にある「与うるは受くるより幸いなり」という言葉を、母流の大阪弁で語っていたのです。これが“遺言”というわけです。確かに、母の生涯はこの言葉の通り「ギブ&ギブ」だったと思います。人に何か頼まれると、何とかしてあげたいという気持ちがあふれて頼みを断れないのです。損得は後にして、ほうぼうを駆け回っていました。
 母は、その年の3月に帰らぬ人になりました。桜の季節にちなんで桜の花びらを山のように積み上げ、そこに母の写真を飾りました。周りを暗くし、写真にピンスポットの照明を当てたのです。すごく格好のいい祭壇でした。
 全国から岸和田(大阪府)に、母を偲んで多くの人が来てくれました。いつまでも誰も帰らず、沖縄の人たちはカチャーシーを踊り出すし、京都の芸妓さんや舞妓さんも駆けつけ、にぎやかな母の人生そのままの葬式になりました。
 皆さん「お母ちゃんがな……」「お母ちゃんにな……」と母の思い出を語ってくれます。誰一人「綾子さん」とか、「お母さん」とか言う人がいないのです。「お母ちゃん」が母のニックネームになっている。それくらい母は皆さんの心に深く受け入れられていたのです。

 3姉妹の中で、私が母の性格を一番受け継いでいるようです。小さな頃から、「お母ちゃんに一番似てるな」と母からも言われ、私もそう思ってきました。好奇心の強いところ、人に頼まれたら断れないところ、すぐに人を信用するところなど、すべて母譲りです。
 子どもの頃から活発で、少しの間もじっとしていられず家の中を走り回っていました。すると、仕事をしている母が叱るのです。いつも「ほんまに、あんたさえいなければ世の中うまくいくのにな」と言われていました。その頃、私は“お姉ちゃんも贔屓されているし、妹はかわいがられている。自分だけが邪魔者なんや”と思うこともありました。
 そんな私の気持ちを察してか、ある時、母が人さし指を出して、こんなことを言うのです。
「あのなジュンコ。この指がヒロコや。ほんで中指がジュンコ、薬指をミチコとするやろ。お母ちゃんはなぁ、どの指切っても痛いんやで。どれもお母ちゃんにとって大事な指なんやで」
 上手いこと言うなと思いました。ですが、母の気持ちが染みました。
 母の口癖は「さあ、人生、これからやで!」です。母は、何歳になっても常にスタートラインに立って、いつも次の道に走り出そうとしていました。


(手前中央から時計回りに)綾子さん、長女ヒロコさん、三女ミチコさん、次女ジュンコさん
(本人提供)

取材・文 編集部
撮影 伊藤千晴

本記事は、月刊『理念と経営』2020年5月号「母物語」から抜粋したものです。

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