『理念と経営』WEB記事

「顧客の問題発見」でイノベーションを起こせ

早稲田大学ビジネススクール教授 内田和成 氏
ネスレ日本株式会社代表取締役社長兼CEO 高岡浩三 氏

高岡社長は「キットカット」の受験生応援キャンペーン、ビジネスモデル「ネスカフェ アンバサダー」など、数々のイノベーションで、ネスレ日本をプラス成長に大転換した。その実績は、スイス本社から「ジャパン・ミラクル!」と称えられたが、デジタル時代における高岡社長の独特のマーケティング手法は、手づまり感のある日本企業の突破口となるかもしれない。

コーヒーを飲む環境で、
この二〇年、何が起きているか

内田― 高岡社長は社長就任後、チョコレート菓子の「キットカット」とコーヒーの「ネスカフェ」の二大ブランドを国内トップに押し上げ、それまでマイナスだったネスレ日本の売り上げの伸び率を、一気にプラスに大転換させました。それも、「日本という市場」だけで実現したのですから、奇跡に近い快挙と言えるのではないでしょうか。
 スイスの本社は、世界で最も高齢化し、かつ、人口減少という、食品企業にとって大逆風の日本にあって業績を伸ばしてきた功績に対して「ジャパン・ミラクル!」と称えました。

高岡― ネスレ日本の社長になって(2010年、社長兼CEO)、10年目に入りました。その前に子会社の社長も5年やっていたので(2005年、ネスレコンフェクショナリー社長)、かれこれ社長業は15年になります。
 おっしゃるように、その前は、ネスレ日本も15年以上マイナス成長でした。特に「ネスカフェ」はよくなかった。「ネスカフェ」をどう再生させるか――。それが、私が社長になったときの一番の課題でした。しかし、如何せん、人口減少で胃袋の数が減り、高齢化で胃袋のサイズも小さくなってマーケットが縮小しています。食品企業のネスレ日本にとっては、それはどう考えても痛い。
 では、シェアをもっと取りにいくことが果たして可能か。私は、それは不毛な競争に感じました。むしろ、量を追わないで、付加価値を高めて値段を上げていく。それを「プレミアム化」と言っているのですが、ただ、ご承知の通り、30年続くデフレの中で単に値段を上げることは、いくらブランド力があっても簡単な話ではありません。
 プレミアム化を実現するためには、味や香りといったものだけではなく、コーヒーを巡る「顧客の問題」を発見して解決する、つまり「イノベーション」を起こすことです。

内田― 高岡社長はマーケティングを「顧客の問題を解決する仕組みづくり」と定義していますね。

高岡― ええ。経営者はよく、「変化に適応しなければならない」と言いますが、私はその変化の本質は「顧客の問題」だと思っています。つまり、「顧客の問題」は時代と共に変わっていく。そこをきちんと見極めていけば、新しいイノベーションを起こすことができます。
 私たちが子どものころ、家にはテレビが1台しかなくて、家族と一緒に食事をし、お茶を飲みながら、テレビの番組を取り合いました。

内田― 「家族だんらん」ですね。

高岡― 実は、「ネスカフェ」の売り上げが減ってきていたのは、販売競争に負けたのではありません。1世帯あたりの家族数が減り、単身世帯の数が増えてくるにつれ、朝食のコーヒーも1杯ずつになった。コーヒーを巡る客の問題」が大きく変化したからです。「家族だんらん」というカテゴリーが縮んで、コーヒーを飲みたければ、飲みたい人が、飲みたいときに1人分だけ入れて飲む。そうすると、たったコーヒー1杯分のお湯を沸かすのは、どう考えても面倒です。
 そこで、お湯を沸かす必要がなく、ボタンを押すだけで1杯ごとに淹れたての本格的な味と香りが楽しめるようにと開発したのが、カプセル式一杯抽出型マシンの「ネスカフェ ドルチェ グスト」と、レギュラーソリュブルコーヒー専用の「ネスカフェ ゴールドブレンド バリスタ」です。

内田― 「ネスカフェ アンバサダー」というビジネスモデルはどのようにして生まれたのですか。

高岡― 多くのオフィスではこれまで、無料でコーヒーが飲めました。それがバブル崩壊で経費削減のために職場に自動販売機が置かれ、缶コーヒーを買って飲まなくてはいけなくなった。そうした顧客の問題解決のために、「ネスカフェ アンバサダー」を思いついたのです。これは、職場にコーヒーマシンを無料貸与して、アンバサダーと呼ばれる職場の代表者が専用のコーヒーカートリッジを定期購入。1杯約30円の代金を同僚から回収する仕組みです。
 アンバサダーは販売代理店と違い、ボランタリーベースです。無報酬では誰もやりたがらないという声もありましたが、アンケートによれば、第1位が「職場のみんなに『ありがとう』と言われるのがうれしい」です。今や、申込数は40万人を超えています。
 これは、インターネットという技術があったから実現できたことです。もしインターネットがなかったら、多くの営業スタッフを雇ってオフィスを訪問しなければならない。私たちは、そうしたコストを一切かけることなく、すべてインターネットを活用してプラットフォームをつくり上げることに成功したのです。

内田― 最近の言葉で言えば、「ネスカフェ アンバサダー」はサブスクリプション(製品やサービスなどの一定期間の利用に対して、代金を支払う方式)ですね。マーケティングには「ジレットモデル」(髭剃りのホルダーを無料、または低価格で提供し、付属品の替え刃を消耗品として継続的に販売することで利益を維持していくビジネスモデル)がありますが、その形ですね。
 ネスレはコーヒーマシンを売ることが目的じゃない。それを手段として、コーヒーそのものを味わってもらえればいいという考えです。そこが競争の差別化につながっています。

高岡― アンバサダーのビジネスモデルは、会社の「バリスタ」で淹れた「ネスカフェ」を飲んでおいしいと感じた人が、自分の家庭用に購入するという連鎖につながりました。その結果、「ネスカフェ」の売り上げがグングン上がり、マシンの価格もかなり低く抑えたことで、家庭にも非常に短期間で何百万台と普及をさせることができました。家電メーカーとも競合になりませんでしたね。

内田― 冒頭に申し上げたように、御社は日本という限定した市場です。長年の経験から、成熟企業が成長しようと思うと、大体パターンは3つなんです。1つは新規事業を始める。2つ目は海外に出ていく。3つ目は、M&A(合併・買収)をして規模を追求する。
 御社の場合、海外に出ていくというのは定義によりできない。しかし、新規事業としてコーヒーと関係ないビジネスを始めるということは、可能性はあったかと思います。それは検討されませんでしたか。

高岡― しなかったですね。外資の企業ですから、グループのノウハウのようなものがベースになければ手を出すことはあり得ません。

世界的なブランドは「広告」ではなく
「ニュース」でつくられている

内田― 私が高岡社長を尊敬しているのは、成熟業界で成長しようとしたときに、必ずしもよそに出ていくことではなくて、中に目を向けたというところです。
 マーケティングのフレームワークに、「アンゾフの成長ベクトル」というのがあります。これは、企業が成長するときに、まったく新しいお客さんをつかまえるか、あるいは新しい製品・事業を進めていくかという2軸で考えたときに、新しい製品を開発していくのが「新製品開発戦略」、新しい市場やお客さんを拡大していくのが「市場開拓戦略」、両方を落下傘でやっていくのが「多角化戦略」と言います。
 一方で、もう一度市場を活性化することによって同じお客さんに同じ製品で勝負していくのを「市場浸透戦略」と言うのですが、私は、「キットカット」がまさにこれだと思います。

高岡― 私が「キットカット」を担当したのが1999(平成11)年、20年ぐらい前ですけれど、そのときすでに、二〇世紀の典型的なマーケティングが、売り上げに直結しなくなってきたのを肌で感じていました。つまり、広告宣伝を打っても、投資しても、すぐには売り上げには反響がない。ましてや……。

内田― 何億かけても、それに見合う利益は上がらない……。

高岡― はい。その後、「ポジショニング」(消費者の頭の中で商品をどこに位置づけるか)という概念をつくったアル・ライズ(米国のマーケティング戦略家)は、その著書(『The Fall of Advertising and the Rise of PR』)で「世界的なブランドは、広告ではなく、ニュースでつくられている」と書いています。その代表例がマイクロソフトやデルです。

内田― ルイ・ヴィトンなどもそうですね。

高岡― 今なら、スターバックスもそうです。その本を読んだとき「目から鱗」でした。では、どのようにしてブランドにニュースをつくるか――。そこで誕生したのが受験生応援キャンペーンです。それも結果論ですが、九州の支社長から電話が入り、「キットカットが1月と2月に売れている。どうも受験生が買っているらしい」と言うのです。その理由は「キットカット」が「きっと勝つとぉ!」に聞こえるという‟験担ぎ”だったのです。
 受験生やその家族にとっては、受験のストレスや不安を解消したいというのが「顧客の問題」です。そこで、私は受験生が泊まるホテルを回って、フロントの方に、朝、受験生が試験会場に向かうとき、無償で「キットカット」を手渡し、「頑張ってくださいね」と一言、応援メッセージを添えてもらうよう頼んだのです。このニュースが口コミで広がって、一大ブームになったのです。これもイノベーションですね。

撮影 中村ノブオ

本記事は、月刊『理念と経営』2020年3月号「巻頭対談」から抜粋したものです。

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