『理念と経営』WEB記事

父・三浦雄一郎に教えられた 「人間の可能性」を信じて

プロスキーヤー/博士(医学)  三浦 豪太

70、75歳、80歳でのエベレスト登頂、86歳でのアコンカグア挑戦など、前人未踏[ぜんじんみとう]のチャレンジを続けてきた偉大な父――。その冒険に付き添い、背中を見続けてきた豪太さんだからこそわかる、「三浦雄一郎」の真骨頂。

「ドクターストップ」
決断の理由とは

 今年の1月20日、僕は86歳になる父の三浦雄一郎と共に、南米大陸の最高峰・アコンカグアの登頂を目指していました。
登山隊に同行してもらった大城和恵[おおしろかずえ]医師から、父へのドクターストップがかかったのは、標高6000㍍の「プラサ・コレラ」という名のキャンプにいたときでした。今回の遠征に向かうに当たって、父には懸念されるいくつかの健康リスクがありました。一つは以前からの持病である不整脈。また、ここ数年は心臓の冠動脈に狭窄[きょうさく]が見られ、さらに弁膜症[べんまくしょう]もあった。いわば86歳相応の心臓だったわけです。
人はそれくらいの高齢になると、誰もが日常生活のなかで心筋梗塞[しんきんこうそく]の可能性を抱えています。特に高所ではそのリスクが高まるため、遠征では父の登頂を成功させるために次のような戦略を取っていました。
アコンカグアの標高は6961㍍――本来であれば高度順化[こうどじゅんか](高地での気候風土に慣れる過程)を行い、標高に慣れた上で頂上へアタックするのがセオリーです。しかし、父の場合は体力に不安があるので、高度順化で消耗をしてしまうと、頂上へアタックする力が残らない恐れが強かった。そこでヘリコプターで一気に5580㍍まで登り、酸素マスクを使用することにしました。高度順化を捨て、体力の温存を優先して一気に頂上へ向かう戦略を選んだのです。
ところが、6000㍍地点にある最初のキャンプに到達した際、天候が急激に変わりました。アコンカグアの人を吹き飛ばすような風が収まらず、2日間にわたってプラサ・コレラに停滞することになってしまったのです。
高度に慣れていない状態での2日間で、父親の体力は目に見えて落ちていきました。呼吸は非常に激しくなり、夜中に酸素マスクを外してトイレに立つ際などは、とりわけ苦しそうでした。そんななかで心臓の状況も考えた結果、大城先生によるドクターストップがあったのです。これ以上の高所ではいつ心肺停止が起きてもおかしくないし、そうなった場合は対処がかなり難しいことになる、と。

「君たちは登ってきなさい」

「ここで遠征を終えましょう」と父に伝えるのは、もちろん息子である僕の役割です。ただ、まだ登る意志を強く持っている父に、登頂の中止を伝えるのは気の重い仕事でした。
 もしこれが二人きりの冒険であれば、父の思いを尊重して登頂を続け、どんな結末を迎えても自分が背負って降りればいい、という考え方もあったかもしれません。自分の好きなことを死ぬまで続ける――それが文字通り父の生き方であることを、僕は誰よりも理解しているからです。
 しかし、今回の遠征は登山隊を結成した時点で、登り続けるかどうかは僕ら親子だけの問題ではありませんでした。健康状態の判断を委ねるために大城先生に来てもらったのであり、その大城先生がドクターストップという決断を下したということは、それでもう登山はおしまいだということを意味しました。
父は20代の頃にプロスキーヤーとなって以来、スキーの先駆者としてトップを走り続けてきました。そして、75歳と80歳でエベレストに登頂し、前人未踏の挑戦を今も続けている。50年以上にわたって冒険人生を送ってきた人であるわけです。そんな父の山に登りたいという気持ちを、どうやって断ち切ればいいのか、と僕は悩みました。登山の中止は半端[はんぱ]な気持ちで伝えられるものではなく、僕も自分なりの覚悟を決める必要がありました。
心臓の状況やレスキューが刻一刻[こくいっこく]と難しくなっていくリスクなど、現状の問題を一つひとつ論理的に説明をしました。しかし、それでも「次のキャンプまでは登りたい」と父は言う。どうにか納得してもらうため、最後には涙ながらに自分の思いを伝え、感情に訴えかけるしかありませんでした。
そのとき、父は目をつぶって一時間近く黙考していました。その様子を見ていると、「前に進む。頂上を見るんだ」という思いが本当にひしひしと伝わってきました。
さまざまなことを考えていたのでしょう。長い長い沈黙の後、父は遠征隊の登攀[とうはん]リーダーに声をかけると、「僕は降りるけれど、君たちは登ってきなさい」と言いました。僕は、一旦、父とともにニド・デ・コンドレス(5500㍍地点)まで下山して、父を乗せたヘリコプターを見送った後、彼のサングラスとザックを背負って頂上を目指しました。

冒険への強い意志はどこから湧くのか

実はこのアコンカグアという山に、父は33年前にも登っています。当時の父とほぼ同じ年齢になった僕にとって、その後の山行は53歳のときの父の影を追うようなものだった、と感じています。父は当時、同じルートを2日間で楽々と登ったようです。だからこそ、これから自分が父を追いかけていくのであれば、これくらいのことをしなければならないんだ、という思いが登りながら湧いてきたんです。

取材・文 稲泉連
撮影   富本真之

本記事は、月刊『理念と経営』2019年5月号「挑み続ける」から抜粋したものです。

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