『理念と経営』WEB記事

「絶対に復帰するんだ!」 自分を信じる力が不可能を可能にした

バレリーナ/「東京バレエ団」芸術監督 斎藤 友佳理

プリマバレリーナとして絶頂期を迎えていた斎藤さんを突然に襲った靭帯断裂の大ケガ。
「再起不能」という絶望的な宣告を受けながらも、一年半後に奇跡の復活を果たした。その「不屈の魂」は、どのように育まれ、何によって支えられてきたのか――。

「ハングリーでいられる人」は 実は恵まれているんです

人生には何一つ無駄はないんですよ。どんなにつらい経験も、それを乗り越えたら、自分にとって大きな財産になるんです。

斎藤友佳理さんはそう言う。ふんわりとした優しい口調。いったいそのどこに、鉄の意志が秘められているのだろうと思わせる。
しかし彼女は、バレリーナとしてのキャリアの中で多くの苦難に直面し、見事に乗り越えてきた人なのだ。

斎藤さんは、16歳のときからロシアへのバレエ留学を繰り返した。
それは、人生で最初の大きな逆境でもあった。当時はまだ社会主義のソ連時代で、外国人に2週間を超す滞在は認められなかったからだ。やむなく、わずか2週間の短期留学を重ねた。

懸命に練習しても、やっと体の感覚がつかめてきたところで帰国を強いられる。そんな難しさがあった。
だが、斎藤さんはその状況を、「1度の留学が2週間しかないからこそ、1日1日真剣になれる。必死に集中できる」と前向きに受け止めた。斎藤さんが真剣になれた理由は、もう1つあった。

往復の旅費がかさむし、すごくお金がかかる留学のやり方ですよね。両親の経済的負担は大変だったと思います。わが家は決して裕福ではなかったですし――。
短期留学の話が持ち上がったとき、父が母に「ママ、ここが踏ん張りどきだ」と言って、ベルトを締めたことをよく覚えています。

「両親が大変な思いをして稼いだお金を使わせてもらっているんだから、私は1秒も無駄にしてはいけない」と強く思いました。いいかげんな気持ちでレッスンに臨むなんて、両親に申し訳なくてできませんでした。

そのように真剣に、ハングリーに留学と向き合うことができたことを、斎藤さんは「私はとても恵まれていた」と表現する。

いまは以前よりもロシアとの行き来が自由になりましたし、バレエダンサーもl年以上の長期留学が可能になりました。

でも、そのことは恵まれているように見えて、実はマイナスなんです。「外国に留学さえすればなんとかなる」と、軽く考えてしまっている人も多いと思います。「1年ずっといられるから、少しサボっても大丈夫だろうと」考えてしまったリ……。でも、1年なんてあっという間ですからね。

東京バレエ団で後進を指導する立場になって思うのは、「厳しい状況に身を置いている子ほど強い」ということです。

例えば、バレエをやることを親から強く反対されて、「どうしてもやるなら出て行け!」とまで言われて家出同然に入団してきた子は、精神的に強いし、真剣さが違います。

それに対して、親から温かく見守られ、経済的にも恵まれている子は、実はその分だけマイナスを背負っているんですよね。バレエダンサーにとって「ここぞ」という真剣勝負のときに、恵まれた子ほど甘えが出てしまう率が高いと思います。それはバレエに限らず、なんでもそうだと思うんです。

いざというときの底力は、ハングリーな人のほうが強い。だから、「ハングリーでいられる人」は、実は恵まれているんです。

「勝手に人の人生決めつけないで!」 再起不能宣告に怒りが……

1996(平成8)年12月17日、東京・五反田のゆうぽうとホール――。東京バレエ団の公演「くるみ割り人形」で、29歳の斎藤さんはヒロインのクララを踊っていた。

だが、一幕終了の直前、左足で踏み切ったとき、雪を表現するため舞台上に降っていた紙吹雪に、足を取られてすべった。「バチン!」という音が体から聞こえた。着地の瞬間、ヒザがガクンと崩れた。共演者に支えられるようにして舞台袖へ消えると、そのまま倒れ込み、救急車で病院に運ばれた。

左膝靭帯断裂の大ケガ。主役を任されながら途中降板するという、ダンサーにとって最大の悲劇が起きてしまったのだ。翌日、MRI(磁気共鳴画像)検査の結果を示しながら、大学病院の医師は斎藤さんに残酷な宣告をした。

「手術に成功しても、日常の動作ができるようになる程度です。 バレエの復帰は諦めてください」

ほかの病院にも行きましたが、「再起不能」という結論はみな同じでした。

私と同じケガをしてバレエを辞めた人は、たくさんいました。当時の日本の医療技術では、確かに治せなかったのでしょう。
でも、私は諦めませんでした。新たな病院を訪れるたびに聞かされるつらい宣告を聞きながら、私は絶望するよりも、むしろ「勝手に人の人生決めつけないで!」と怒りを湧き上がらせていたのです。

ロシア人のご主人(ボリショイ・バレエ団のプリンシパルだったニコライ・フョードロフ)や、尊敬する名バレリーナ、エカテリーナ・マクシーモワからのアドバイスもあり、斎藤さんはロシアで手術を受けることを決断した。

さいとう・ゆかり1967年、神奈川県生まれ。
6歳より母からバレエを学ぶ。87年、東京バレエ団に入団。翌年からプリマバレリーナとして活躍。2009年、ロシア国立モスクワ舞踊大学院のバレエマスターおよび教師科を首席で卒業。
15年、東京バレエ団の芸術監督に就任。05 年芸術選奨文部科学大臣賞受賞。10年横浜文化賞。12年紫綬褒章受章。著書に『ユカリユーシャ――不屈の魂で夢をかなえたバレリーナ」 (文春文庫)など

取材・文 山路正晃
撮影 伊藤千晴

本記事は、月刊『理念と経営』2016年12月号「human story」から抜粋したものです。

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