企業の成功法則 社長力・管理力・現場力 三位一体論
社長力
2025年8月号
“中小企業のおやじ”の集中戦略

若くても内なる志の高い人には、何かをなそうという念いが強くあります。スズキの社長を務めた鈴木修氏は二〇歳の成人式の時、町長の言葉に奮起し、日本の国を豊かにするために“軽自動車のスズキ„を成長発展させ、世界的な企業にしたのです。
日本人が持っていた「やらまいか精神」
鈴木修氏の人生は、二〇歳の成人式で大きく変わりました。「やらまいか精神」を持つ人は、自らの意志で人生の試練を乗り越えていきます。ノンフィクション作家の野地秩嘉氏は、鈴木修氏の言葉を本誌三月号で次のように紹介しています。
「一九四五年は敗戦の年です。五〇年代はまだ貧しかった。日本人は心のゆとりがなくて、精神的な行き詰まりを感じていました。私自身もそうでした。ですが、下呂の成人式で町長の話を聞いて変わりました。町長はこう言いました。
『日本は戦争に負けた。廃虚になった。だが、これからも私は町長として頑張って日本経済の再建に邁進しなければならない。しかし、私はもう、六〇歳を過ぎている。頑張ることは頑張るけれど、これからの日本はみなさんのような若者に託さなければならない。私はあなたたちのような若い青年に、戦後の経済復興をお願いしたいと思う』
以来、私は何とか日本を豊かにしたいと思い、働いてきました。日本はアメリカに追いつき追い越せでやってきたことで、成長したのです」
この言葉こそ、社長力と定義できます。遠州地域にある「やらまいか精神」は多くの人物を育て上げました。トヨタの社祖、豊田佐吉・喜一郎親子は現在の静岡県湖西市で生を受け、織機製造から始まり、国内自動車産業発展の中核を担いました。トヨタは世界トップの座を築いても油断せず、飽くなき改善に挑んでさらに飛躍しようとしています。
多くの有力企業を生んだ土地
ホンダをグローバル企業にした本田宗一郎氏は浜松市出身で、小さな町工場からスタートし、自動車産業の発展の一翼を担います。宗一郎氏が一一歳の時、アクロバット飛行を見て憧れ、夢にまで見たホンダジェットの生産も見事に成し遂げています。
また、ノーベル賞受賞者を育てた晝間輝夫氏は、三人で立ち上げた浜松ホトニクスを、光に関する技術では九〇%の世界シェアを持つ企業にまで育て上げました。斬新な発想を持ち、日本の基幹産業として光技術を推進しました。「やらまいか精神」は、ヤマハ、カワイといった楽器メーカーの成長、発展も支えています。
日本初のNCルータ加工機を開発したSHODAも、庄田和作氏が一九二六(昭和元)年に浜松で創業したメーカーです。
豊田佐吉翁の父である伊吉は、二宮尊徳翁の思想に強い影響を受け、掛川市にある大日本報徳社などに自ら節約して貯めたお金を寄付するなど奉仕の精神が強い人でした。
明治期に日本の織機の発明を通して村を救おうと苦悩した佐吉翁は、父伊吉を通して二宮尊徳翁の影響を受けています。佐吉翁は「世のため人のため」を口癖に、産業報国に尽くし、その志を受けた長男の喜一郎氏は自動車産業首位の礎を築きました。
本記事は、月刊『理念と経営』2025年8月号「企業の成功法則 社長力・管理力・現場力 三位一体論」から抜粋したものです。
成功事例集の事例が豊富に掲載
詳しく読みたい方はこちら
無料メールマガジン
メールアドレスを登録していただくと、
定期的にメルマガ『理念と経営News』を配信いたします。