企業の成功法則 社長力・管理力・現場力 三位一体論

小林虎三郎が 必死で訴えた「人材教育」

今あらゆる組織で、教育の在り方が問われています。作家・山本有三は、戯曲『米百俵』を著し、目先のことしか考えない藩士に対し、虎三郎に「百俵の米も、食えばたちまちなくなるが、教育にあてれば明日の一万、百万俵となる」と言わしめています。

すべての経営判断は人に託されている

 社長力とは、現在ある経営資源を最大限活用する力です。経営資源とは人・モノ・カネ・情報などです。人については後述しますが、モノもとても重要です。①既存商品は陳腐化していないか、②改善改革しているか、③他の用途に活用できないか、④お客様から見たときの顧客価値を高めるにはどういう方法があるかなど、突き詰めて考えていかなければ、今や時代の変化に対応できません。

 自社の商品のコンセプトを絶えず再定義しなければ、良い製品や技術、サービスも顧客のニーズに合わなくなっていきます。つまり、モノをつくるにしても、情報を集めるにしても、お金にしても、すべての経営判断は人に託されているのです。

 デジタル社会になっても「人が主役」なのです。デジタルは業務の生産性をあげ、製品や技術の高度化も促してくれます。医療機器の飛躍的な革新で病に侵された人が活き活きと蘇生しています。しかし逆に、例えばドローンは今や危険な最新兵器です。ITシステムはハッキングされ万能ではないことが証明されました。すべて「人」に依拠しているのです。

 その人づくりの大切さを説いたのが小林虎三郎です。どん底のときにこそ教育の大切さが問われます。社長力とは「人財育成力」です。そして、虎三郎がいう教育とは「世のため人のため」になる人物を育てることです。


米百俵の配分に対する怒りの会話

 時は、幕府から大政奉還された明治維新初期、戊辰戦争の一つである北越戦争で敗れ、焦土と化した城下町・長岡には、食べるものもない窮状の極みの中で、支藩である三根山藩から米百俵を送られたところから、価値観の食い違いが露呈します。

 伊賀善内という武士が、ヤケ酒を飲みながら、「自分の娘が何もしていないのに、クシを盗んだ嫌疑をかけられた!」と、その無念さを同じ武士の伊東喜平太に愚痴をこぼします。二人とも三〇過ぎの長岡藩士ですが、喜平太は「ひたいから耳のあたりへかけて、大きな刀傷がある人物」ですから、北越戦争を戦った人物かもしれません。

 喜平太も不満をこぼします。「町人とても、われわれが昔の通りであったなら、今のような無礼を働くわけはないのだ。百石とっていた者も、二百石とっていた者も、今日は旧幕時代の中間小者にも劣る暮らしではないか」と口にします。

 すると、善内が「おれが、貧乏はつらいと言ったのはそこなのだ」と、政治の在り方や娘の恥辱に対する強い不満を言い始めます。そこに、同じく長岡藩士の専八郎が加わり、三根山藩からの米百俵の配分に対する怒りの会話になっていきます。

「百俵の米を売り払って、それで学校を立てるというのだ」「死にそこないの、老いぼれ学者め。あいつには家中一統の、この困窮がわからないのか」「おれたちを干ぼしにしようというのか」「小林大参事をたたっ切ってしまうのだ」とエスカレートしていきます。


本記事は、月刊『理念と経営』2024年2月号「企業の成功法則 社長力・管理力・現場力 三位一体論」から抜粋したものです。

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