企業の成功法則 社長力・管理力・現場力 三位一体論

物をつくる前に人をつくる

“経営の神様”松下幸之助翁は、「商売に取り組む基本の心がまえの一つとして、『商人には好、不況はないものと思え』ということを自分に言いきかせつつやってきた」と述べておられます。答えのない時代、経営の原点に戻るべきです。

企業経営に一番重要なものとは?

 松下幸之助に四四年仕え、若くして抜擢されて企業再建を任された元松下電送社長の木野親之氏に、企業成功の大きなポイントについてお聞きしました。木野氏は生前、幸之助翁の数多くのエピソードを語ってくださいましたが、「『内なる志』が何よりも重要であり、加えて『社会からの要請』が統合された時に企業は飛躍する。木野君、企業経営に一番重要なのは『内なる志やで』と口癖のように言われた」そうです。

 社長力とは、「理に適った」「正しい念い」を持つ力です。その念いが「経営理念」となって成文化されていき、その経営理念や事業目的、使命が一番重要なのだと説いておられた、と学びました。

 今われわれは世界的に不穏な動きを感じ取っています。「不安定」「不確実」「複雑」「曖昧さ」と、答えが見えない真っただ中にいます。しかし、「人・物・金・技術・情報」も大事ですが、企業経営者にとって一番重要なのは、社長の「内なる志」だと改めて思います。

 ①どういう人間でありたいのか、②どのように世の中に貢献したいのか、③そのためには社長としてどうあるべきなのか、④自社をどのようにしたいのか―強い問いかけを自らに課す時代です。

 そのことで、おのずから自社のなすべきことが見え、徐々に形になっていくのです。松下幸之助翁の『私の行き方考え方 わが半生の記録』(PHP研究所)を読むにつけ、勇気が漲ってきます。

経営の神様も「人手不足」を体験された

 人手不足倒産が囁かれています。松下幸之助翁も大正八(1919)年の暮れに東京駐在所を置かれた当時、日本の景気がよくて「人手不足」を体験されました。

 「松下工場もこの風潮につれて、わずかに二十人前後の従業員ではあったが、この人たちを求めるにはずいぶん骨が折れたのであった。当時、営業のほうもしだいに順調にいっていたから、一人ふやし二人ふやしという状態であったが、ともすればふえるよりも減る場合が往々にできたのには少なからず弱った。(中略)それで私は毎朝『きょうも、きのう来た人がきてくれるかしら?』と、知らず知らず工場の表へ立って待ち受けて、ようやく皆が出そろうと、ほっとして皆とともに仕事を始めたものであった」(松下幸之助著『私の行き方考え方 わが半生の記録』PHP研究所)

 創業間もない頃は、まだ小さな工場で、会社も松下幸之助翁も無名でした。そのため、バブル経済の頃や現在のように「高賃金」で無理に募集する時代だったようです。〝経営の神様〟といえども、少なからず「人」の問題ではご苦心なされたものと思います。

 しかし、幸之助翁の内なる志は、創業間もないころから人間について強い関心がありました。その志から昭和九(1934)年に店員養成所をつくられました。経済界で、幸之助翁ほど「人を重要視」した経営者も少ないと思います。小学校卒業者を対象にして入所させ、三年間で旧制中等学校の学力を、五年間で商業と工業両過程修了と同じ学力を身につけさせたのです。加えて「人間教育」を目指したのはいうまでもありません。

 幸之助翁は一八歳から関西商工学校夜間部予科に入学しています。一年間無事に過ごして予科の修了証書をもらい、脱落する者がいる中で無事に次に進まれています。しかし、本科の電気科に入って口頭筆記で困難を極められます。字を書く体験が少なかったせいで、先生の講義のスピードに筆記が追いつかず、残念ながら途中で退学されています。「やむなきに立ち至って」(同)という言葉に、私は翁の無念さを感じます。

本記事は、月刊『理念と経営』2023年9月号「企業の成功法則 社長力・管理力・現場力 三位一体論」から抜粋したものです。

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