企業の成功法則 社長力・管理力・現場力 三位一体論

人事を尽くし、天命を待った男たち

WBCの栗山英樹監督は、会社組織でいえば社長です。マネジメント能力が試され、選手の強みを最大限活かし、ファンの期待に応え、チームを優勝に導かなければなりません。自らの采配によって、すべてを決めてしまうのです。

体調不良のヤクルト時代

 WBCの第五回大会で栗山監督率いる侍ジャパンが三大会ぶり三度目の優勝を果たし、われわれに大きな喜びと未来への希望を与えました。監督の人間味あふれる姿がテレビに映し出されるたびに、そのお人柄に心から敬意を表しました。

 二〇〇六年、第一回大会で優勝を果たしたときの監督は、野球界を代表する王貞治監督です。二〇〇九年の第二回大会は原辰徳監督がチームを指揮し、無事に二連覇を果たしました。第三回大会は元広島の山本浩二監督で、メジャーからの参加はなく、田中将大投手や前田健太投手などが活躍しました。残念ながらドミニカ共和国に世界一の座を奪われました。二〇一七年、第四回大会の指揮を執ったのは小久保裕紀監督でしたが、アメリカが初の悲願優勝を果たしました。

 四人の監督は独自のリーダーシップやコミュニケーション能力、人間性、カリスマ性など豊かな個性を持つ方々です。現役時代はそれぞれに大活躍し、華やかな選手生活を送っています。

 それに比べて栗山監督は、ヤクルト入団の翌年から三半規管の故障などで、めまいや立ちくらみといったメニエール病の症状に悩まされ、悪戦苦闘の日々を強いられてきました。一九九〇年、野村克也監督が就任したとき、米国のユマキャンプでノートをとりながら、絶えずベストの努力を続けてきました。故障が原因でその年に引退します。その後、野球解説者として活躍し、白鷗大学では教授の任に就き、スポーツメディア論を教えておられます。

可能思考能力を持った人財育成力

 二〇一二年、北海道日本ハムファイターズの監督に就任し、一年目でリーグ優勝を果たしています。日本シリーズでは巨人に二勝四敗で敗北を喫しますが、当時ダルビッシュ有選手が抜けていなければ、おそらくシリーズ優勝も手にしていたものと思います。

 社長力とは人間力が厳しく問われます。肯定的な解釈能力を持ち、前向きに発想する力も必要です。さらに、人材育成の手腕や、次々に状況に応じた戦略を駆使して、組織や人を成功に導くために、発展的な思考の展開力(可能思考能力)が求められます。

 トップマネジメントとして、優れた意思決定や、仕事力が試されるのも社長の任務です。そういう意味で栗山監督が脚光を浴びたのは、渡米する決意でいた大谷翔平選手に頭を下げて日本ハムに迎え入れたことです。大谷選手の二刀流が開花し始めたのも、二刀流反対の声を聞き流し、大谷選手の力量を信じて起用したからです。

 大谷選手も打撃で活躍し、投げて三勝を挙げています。二〇一四年に、初の一シーズン一一勝一〇本塁打を達成した記録は、今でも記憶に残るものです。社長力とは最後は信じる力かもしれません。二〇一六年にはソフトバンクに大きな差をつけられますが、栗山監督は不利にもかかわらず、四年ぶりのリーグ優勝を果たし、広島と対戦して四勝二敗で日本シリーズを制しました。

 当然、今回のWBCで大活躍した、大谷翔平選手の存在が大きかったことは言うまでもありません。二〇一七年の最終戦ではメジャー移籍を志望していた大谷選手を、「四番・投手」として先発で起用し、大谷選手は一〇奪三振と一安打を記録しています。

 大谷選手は第五回大会で再び日本でプレーする歓びや、初のWBCへの参加で、いつも笑顔を振りまいていました。恩師栗山監督への恩返しの思いが強かったはずです。

 社長力とは、活躍する経営幹部を育て、働く人たちが目標を達成するだけのスキル、能力、知識、ノウハウ、実力を身につけさせる力です。栗山監督は選手の主体性に任せ、全員の実力をいかんなく発揮させたのです。

本記事は、月刊『理念と経営』2023年6月号「企業の成功法則 社長力・管理力・現場力 三位一体論」から抜粋したものです。

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