企業の成功法則 社長力・管理力・現場力 三位一体論

強い「自己成長」意欲があれば、小さな必然も見逃さない

ホンダ創業者の本田宗一郎さんは口癖のように、「まず自分のために働け」と述べていました。自分のために働くことが絶対条件で、そのことが同時に、会社を良くすることになるという発想です。社長力とは自己成長を啓蒙する力です。

世の中に魔法などなく、偶然もない

 われわれと、偉業を成し遂げた人たちとの違いは、才能の力だけではありません。成長したい、願いを叶えたい、立派に生き遂げたい、自分の与えられた天分を試してみたい、そういう念いを持ち続けたかどうかです。天はすべての人に平等にその人なりの能力を与えているのです。
 気づくか気づかないか、駄目だと思うか、もっとできると思うか、そのために努力をするか、気持ちはあるが努力を放棄するか、最後まで諦めないか、諦めて言い訳をするか、何に関心を持つかどうかだけです。常日頃の考え方の結果が現在であり、現在の姿が未来を暗示しています。
 企業経営も、特別なことがあって成長し、発展しているわけではありません。仮にヒット商品が出て急激に繁盛し、現在があるとしても、それは着想からヒットに至るまで、さまざまな努力の積み重ねががあったからです。世の中に魔法などありません。偶然もありません。
 何とかこの会社を立派にしたいという念いがあった。働く人を育てる過程で、その人がアイデアを出してくれた。そのアイデアに敏感に社長が反応してくれて商品化した。社長の志を耳にした社員が具体的に提案した・・・。幾重にも幾重にも必然が絡み合って、いかにも偶然のような装いをして市場に出回っていくのです。
 強い自己成長意欲がある社長は、小さな必然も見逃さないだけなのです。

青年期に天分に気づいたアイ・ケイ・ケイ金子社長

 本田宗一郎さんは、1969年(昭和44)年の4月に「まず自分のために働け」と述べています。立派な経営者の特徴は、「私のため」ではなく、誰よりも「自分のため」に必死に働きました。
 「私」という文字の禾偏は食べ物のことです。人間は生きるために誰もが食べ物を必要とします。生存本能です。大岡昇平の『野火』という小説にも、人肉を食べるシーンがありますが、われわれにはそういう側面があるのです。旁のムは、食べ物を奪うために、肘を曲げて食べ物を自分の方に引き込む姿です。
 「私」はある面、人間の醜い姿です。それに比べて「自分」は人間の崇高な精神性を物語ります。自分の「分」は天分のことで、誰もがその人にしかない天分を与えられているのです。天与の才能は特別な人だけに与えられているのではなく、誰にも与えられていますが、自分の天分に気づく機会に恵まれなかったか、求める気持ちが弱かったか、それを磨き続ける意思が不足していただけなのです。
 自己成長への道とは、第一段階が、天与の才能に気づこうという求める気持ちを強く持つことです。それだけで、自己成長の道の半分は進んだようなものです。第二段になると、壁が立ちはだかります。自分には向いていない、うまくいかないのは能力がないのだ、そういう誘惑が頭をもたげます。
 このときに大事なのが、自分の「自」で、「自う」という意味です。すなわち「自分」とは「天分に自う」という意味です。黙々と疑わずに天与の才能に素直に自って努力していると、必ず芽が見えてきます。
 例えば、アイ・ケイ・ケイ㈱の金子和斗志社長です。青年期の途上に自らの天分に気づき、人口54万人の佐賀県伊万里市から東証一部上場企業なり、ウエディング業界では経常利益率ナンバーワンを堅持し、働きたい企業ランキングで35位に付けています。
 誰もが天与の才能に気づいて、徹底して天分に自って磨き続けていると、次の第三段階が見えてくるのです。

本記事は、月刊『理念と経営』2019年10月号「企業の成功法則 社長力・管理力・現場力 三位一体論」から抜粋したものです。

成功事例集の事例が豊富に掲載
詳しく読みたい方はこちら

詳細・購読はこちら

SNSでシェアする

無料メールマガジン

メールアドレスを登録していただくと、
定期的にメルマガ『理念と経営News』を配信いたします。

お問い合わせ

購読に関するお問い合わせなど、
お気軽にご連絡ください。