企業の成功法則 社長力・管理力・現場力 三位一体論

与えられた場所で精いっぱい努力してごらん

山本精一社長とナンバー2の原口登志寛さんとのご縁で、今の私の人生があります。夢破れたときに励まされた、「与えられた場所で必死に努力すれば必ず良いときがくる。君、鮨屋になってみろ」の一言で、大きな決意をしたのです。

夢を追いかけていた時代

当時、私が勤めていた福岡の彰範の近くに、九州でも大きな積文館書店があり、私も参加していた同人雑誌「芸文」と「近畿文芸」を、同人雑誌コーナーに置いていただいていました。私の「夕映え」という短編小説は、当時人気の文芸雑誌『「文学界」の連載小説、有馬輸義先生の「タ映えの中にいた」に魅せられ、そこからとった題名でした。
 ちなみに、次のページは城山三郎先生の「鼠」で、金子直吉の活躍と鈴木商店の栄枯盛意が記憶に残っています。もう一冊の文芸誌「群像」は、大江健三郎さんの放延元年のフットボール』を連載していました。芥川賞を受賞した、若き柴田翔さんの『されどわれらが日々』も衝撃の作品です。
 積文館書店の同人雑誌コーナーに、私の作品が掲載された『近畿文芸』が並びました。しかし、「夕映え」は自信作であっただけに、読みながら失望が広がっていきました。生の原稿と活字になったときの文章力の差に夢がどんどん沈んでいくのです。学歴もない、父の借金もまだある。しかし、「将来こうなりたい」という夢はあっても、夢を叶える才能がないことに絶望的に気づかされたのです。
 自分は生きる価値のない人間だという気持ちで心の病みは深まり、とうとう福岡の大濠公園の大きな池に飛び込んだのです。もちろん死ねるはずがありません。途中で怖くなり、水浸しのまま寮に逃げ帰ったのです。あのとき、もし車に飛び込んでいれば、それですべては終わっていたでしょう。
 店の三階は社員一三、四人が雑魚寝していました。錯乱状態で声を上げて泣いて帰ったところに、原口さんがお見えになり、深夜遅くに山本精一社長が来られたのです。

君一度、本気で「鮨屋」になってみろ

 自分の悩みを口に出さないタイプの私でしたが、このとき、父のこと、将来こうなりたいという胸の内をさらけ出しました。ご苦労されて一代で緊盛店をつくりあげた人です。朝の光が差し始めたとき、山本社長の「そうか、大変だな。しかしな、人間はな、与えられた場所で精一杯努力してこそ次の道がひらけるんだそ。君一度、本気で鮨屋になってみろ」、この言葉が決め手でした。現実に気づかずに夢ばかり追いかけていた私が、鮨屋になる決意をした記念すべき日です。
 約束の一年後大阪に戻って「ごんた鮨」に勤務しました。三人目の藤原一郎社長に仕えたのです。そして、運よく店長が辞められ、その後を私に任せてくださったのです。二二歳の時です。
 書店で「店長の仕事」という本を買って読みました。数字の理解、部下指導、集客の仕方、月次決算など、それまでとは異なる勉強が始まりました。何よりも通信教育で簿記の勉強に没頭しました。
 早朝、藤原社長を起こしに行き市場に買い出しです。藤原社長は仮眠をとられますが、私は店長として職人さんを起こしに行ったり、昼の仕込みをしなければなりません。
 一番困ったのが年上の職人さんの管理です。二日酔いの職人さんを足で蹴り飛ばし、無理やり叩き起こして間に合わせる日々です。思えば、福岡・音羽鮨の原口さんは決して足で蹴ったりはされませんでした。
 管理力は生やさしいものではなく、本に書いてあることなどほとんど役に立ちません。その場の状態を観察して咄嗟に自分で判断を下さなければなりません。「窮鼠猫を噛む」の窮鼠になっただけです。それしか、当時の実力では急場を凌ぐことができません。その場その場で体験を積ませていただきました。無我夢中でした。

本記事は、月刊『理念と経営』2022年2月号「企業の成功法則 社長力・管理力・現場力 三位一体論」から抜粋したものです。

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