『理念と経営』WEB記事

異色の建築家はなぜ、未来を担う「子ども」にこだわり続けるか

一般財団法人日本総合研究所会長 多摩大学学長 寺島実郎 氏×建築家 安藤忠雄 氏


大阪の下町に育ち、17歳でプロボクサーとして活動したのち、独学で建築の道へ入った。
大阪を拠点に世界で活躍する、この“異色の建築家”が全力で疾走しながら発信するテーマと生き方を、世界で情報戦を展開する寺島実郎氏はどう受け止めたか――。

昼飯も取らず、一心不乱に働く
大工さんの姿を美しく感じて

寺島 安藤さんと私の笑い話のような共通項は、実は「ボクシング」なんです。安藤さんはフェザー級のプロのライセンスまで持っていて、私は単に学生時代に健康管理でジムに通っていたという程度ですが、それでも当時、53キロの体重で、バンダム級でした。ところが、安藤さんはある日、突然、ボクシングをやめましたね。

安藤 高校2年のとき、たまたま京橋にあるボクシングジムで練習風景を見ていて、大したことないなと思ったんです。聞くと、4回戦ボーイのファイトマネーが4000円だと言うのです。当時の新入社員の初任給が1万円くらいですから、結構な金額です。なにより喧嘩してお金がもらえるなら、やるしかないと……。中学校を卒業したら大工の見習いをするつもりでしたが、高校時代は、プロボクサーとしてファイトマネーを稼ぎました。
 当時、ボクシングでは、ファイティング原田が猛烈なラッシュで多くのファンを熱狂させていました。ある日、その原田がジムに訪ねてきたんです。原田の練習を目の当たりにしました。本番さながら3分間戦って1分間休憩する、その回復力のすさまじさに、プロでのし上がっていくには才能が必要なのだと思い知らされ、ボクサーの道をすっぱりと諦めました。一心不乱にやるのも大事だし、諦めるのも大事。これを10代で学びました。

寺島 では、安藤さんが建築の道を志すには、どのようなきっかけがあったのですか。

安藤 中学校2年生のとき、自宅を2階建てに改装することになって、近所の大工さんが工事に来ました。昼飯も取らず、一心不乱に働く大工さんの姿を間近で見て、その美しさと、見慣れた住まいの様子が刻々と変わっていく面白さに、「私も一心不乱に働く建築の仕事をしたい」と思ったのです。
 大学の建築学部に行く友人たちに頼んで授業で使う本を購入してもらい、彼らが4年間で勉強するものを1年で読破しようと、脇目もふらず全力疾走で取り組み、建築士の資格取得に一発で合格しました。そして、高校卒業から10年たった1969(昭和44)年、事務所を設立したわけです。28歳でした。
 大阪は面白い所で、私のように学歴もなく努力だけで突っ走っている人間でも、ただ「面白い」という理由で、手を差し伸べてくださる方々がいました。サントリーの佐治敬三さんやアサヒビールの樋口廣太郎さん、三洋電機の井植敏さんなど大阪の経済人が声をかけてくれます。「仕事は何をしてるんだ」と問われ、「建築やっています」と答えると、「おまえ、面白いから頼むわ」と……。

寺島 安藤さんはグレートコミュニケーターですね。世の中には「安藤忠雄伝説」がたくさんあります。大学や専門学校で建築を学んだわけでもないのに、これだけ世界的な建築家として名をはせるようになった……。もちろん、桁違いの才能を持っておられますが、才能があっても埋もれている人はたくさんいるわけです。
 つまり、安藤忠雄が安藤忠雄たるゆえんは、持っている才能を、相手をして認識させる力、例えば、建築を依頼してくるクライアントなどが「安藤忠雄ってすごい」と思えるコミュニケーション力です。安藤さんに若い経営者の人たちがまねすべきところがあるとすれば、安藤忠雄は「最大限の努力をして自分を認めさせた」ということです。私はここを強調したいのです。
 さて今日、私は「こども本の森 中之島」という、安藤さんが挑戦された新しいプロジェクトが完成した場所を見せてもらいながら、対談しているわけですが、安藤さんは「子ども」ということに対してものすごくこだわっていらっしゃいますね。安藤さんはよく「おばあちゃん」の話をされます。日本中が貧しい時代におばあちゃんに預けられて育ったと……。それが、子どもに対する安藤さんの考えの根底にあるのだろうと思います。

 “新しい貧困„があぶり出した
「こどもの本の森 中之島」の意味

安藤 私が育ったのは大阪の下町でしたが、貧乏は気になりませんでした。それは、周辺の人たちも貧しかったからです。本屋もなく、美術書があるわけでもない環境で育ち、放課後は魚やトンボを捕り、野球や相撲をするという自由な時間を過ごしました。今の子どもたちを見ていると、私が過ごしたような「放課後」がないんですね。自分で考えて自由に生きる時間がないのです。
 自由な時間があった一方、私の周りには本がありませんでした。夏目漱石や正岡子規を読んだのは20代ですよ。これはしまったと思いました。『吾輩は猫である』や『坊っちゃん』は面白い。本はユーモアも構成力もあり、小説というものは、結構大きな世界を展開しているとわかりましたね。
 鋼鉄王でカーネギー・ホールをつくったアンドリュー・カーネギーはアメリカやイギリスなどにたくさんの図書館をつくりました。「自分の失敗は、残ったお金を全部パブリックに返せなかったことだ」と言って……。彼は少年のときに電報配達をしながら本を夢中で読んでいた人で、図書館をつくることで読むことや考えることの面白さを、多くの人に伝えたわけです。私も自分が出せるものは、社会にもう一回返したいと思ったんです。カーネギーが言うように……。
 そこで、「子どものための図書館をつくりませんか」と、当時の松井一郎知事、吉村洋文市長に持ち掛け、建設地は大阪市が用意して私が建設費を負担、そして民間の寄付金で運営する、ということで「こども本の森 中之島」はスタートしました。
 ここから歩いてすぐの所に中央公会堂がありますが、これまで宇宙飛行士の毛利衛さんや京都大学前総長の山極壽一さん、ノーベル賞を受賞した山中伸弥さんなど、たくさんの人たちが子どもたちのために講演をしてくれています。この図書館を利用した子どもの中から、10人に1人くらい、本を読むことの面白さを知る人が増えたら上出来です。
 
寺島 やはり、そういう名をなした人たちも、子どもたちが元気にすくすく育ってほしいと思っているんですね。

安藤 はい。たくさんの人たちが子どもたちのために「話しに行こうか」と言ってくれます。今は、運営する人たちがよく頑張ってくれて、館内にある広い階段の所で毎月読み聞かせをやっているんです。
 一番の宝は何といっても子どもです。今、子どもたちに元気がないのはなぜかというと、親が子どもをコントロールし過ぎるからです。「塾に行きなさい」「一流大学に行きなさい」「大きな企業に入りなさい」と……。子どもに自分の考え方が出来上がってくる時期は7、8歳です。そのときに本を読まないと。そして、本を読みながら、自分はどう生きたらいいかと考える。そんな子どもが世界に通用する大人へと成長できるのではないかと思います。

撮影 中村ノブオ


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本記事は、月刊『理念と経営』2021年2月号「巻頭対談」から抜粋したものです。

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