この人生は、無数の教訓に満ちあふれている。しかし、どの一つをとってみても万人にあてはまるものはない。それを教訓とするか、どうかは、きみ自身の選択にかかわる─山本周五郎『赤ひげ診療譚』にみえる一節です。社会は校舎のない教室です。校舎のない実社会で生きる人の教科書は人間です。人間こそ汲めどもつきない宝庫であり、その扉をたたくものにだけ開かれるものです。人が生きていくのはつねに他者とのかかわりにおいてです。日々の生活から自ら感じとって自分の中にひそむ可能性を発揮するということです。ときに人間であるがゆえの齟齬や確執もまた不可避です。そのような負の条件のいっさいを見さだめつつ、しかし、その見る視線が優しい。これが、人間に対する優しさです。 「普段が大事」だと語る板倉利男社長。座右の銘は『論語』の「一以て之を貫く」です。人柄も立ち居振る舞いも、その人その人です。幾つになってもお洒落な人がいます。精神の身のこなしが粋な人です。対していて、板倉社長にはその趣がありました。「蘊蓄」の「蘊」は積み重ねた草がむれて温かくなることで、「蓄」とは越冬用の草だそうです(『大漢語林』)。積み重ねた草が発酵するには長い時間が必要です。「蘊蓄」は一日にしてならずで、おのずとその人の人生を物語っています。大病を経験されました。普段は寡黙な社員が、入院前「後のことは心配しないでください」の言葉に板倉社長、思わず、涙します。知情意といいますが、知と意は情の大海に浮かぶ船のようなものです。板倉社長、言葉を超えた情の大海に深く足を浸している故でしょう。 私の主治医から聴いたことです。八十九歳の女性が最後の望みとして、せめてお化粧して綺麗な顔で亡くなりたい、と口にしました。老いと孤独の風が吹きぬける心のなかの、ただ一つの願いだったのでしょう。婦長は十九歳の自分の仕事の将来に迷っている女性の看護師に託します。ますます仕事に自信が持てなくなったようです。五か月後、婦人は亡くなります。その枕元に遺された手紙には「すべてを忍んできました。すべてを信じてきました。すべてを望み、すべてに耐えてきました。さいごに貴方に会えて幸せでした。ありがとう」とあったそうです。これが彼女の人生の大きな転機になりました。心に響く言葉にしっかり反応する潜在能力があったからです。人生を織る生の網目というものは不思議な働きをするものです 「お客様と長いおつきあいができるエステ店」を目指す日本ビューティコーポレーション。力石弘明社長の座右の銘は「虎視牛歩」、虎のように目を見開いて周囲を見渡す目と、牛のように着実に一歩一歩を踏みしめて慎重に進む性格を併せ持つ、という意だそうです。東日本大震災の翌日、各店舗の様子を見回ったときのことでした。八十五歳の女性が訪れていました。「万一亡くなったときにもきれいな顔でいたいからです」とスタッフから報告を受けます。五十代、六十代の人から「あなたに会えてよかった」は、「二十代の若い子が変わる究極の言葉」だと力石社長。「夢のある仕事をしよう」と社員に訴えます。「夢のある仕事」をするためには、想像力です。想像力とは心の視力のことです。想像する、それは、ここには存在しないもの、未知の現実を、視る力です。言葉を変えれば未知の世界への透視力ということでしょう。 「人生は道のようなものだ。一番の近道はたいてい一番悪い道だ」とイギリスの哲学者フランシス・ベーコンは遺しました。日本でも高村光太郎は「僕の前に道はない 僕の後ろに道はできる」と謳いました。生きるということは、困難を避けず、自分の力を信じ、人と人との絆を大切にし、目標に向けて一歩一歩切り拓いていくことです。「お願いです あなたの心だけは 流されないで 不幸の津波には 負けないで」、百歳の詩人・柴田トヨさんの詩です。三月十一日東日本大震災追悼式での天皇陛下のお言葉にも心を打たれました。
* 柴田トヨ第二詩集 『百歳』
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